2018/08/31

本の感想 「幸せになる勇気」

久しぶりに、読んだ本の感想を書こうと思う。

読んだ本は、「幸せになる勇気」です。
以前紹介した、嫌われる勇気の続編ですね。

嫌われる勇気を読んだのって、もう4年も前だったんですねぇ。
今でも良書として、また、自分自身の行動指針の一つとして印象に残っている必読な本です。
嫌われる勇気を読んだときの感想はこちら




さて、幸せになる勇気ですが、構成としては嫌われる勇気と同じく、青年と哲人の会話の中で物語が進んでいきます。
嫌われる勇気を読んだ人には分かると思いますが、青年のひねくれ者感も変わっていません。笑

5部に分かれています。
1. 悪いあの人、かわいそうな私
2. なぜ「賞罰」を否定するのか
3. 競争原理から協力原理へ
4. 与えよ、さらば与えられん
5. 愛する人生を選べ


物語は、嫌われる勇気でアドラー心理学に触れた青年が、教師を志すものの上手く行かず、アドラー心理学と決別するために再度哲人のもとを訪れる、という形でスタートします。

学級崩壊の現場でいろいろと頑張ってみたが、やはりうまくいかない、と。

その中で哲人から、まだ青年は承認欲求の中にいて、本当の意味での自立をしていないと喝破され、またいつものようにキレる、という。笑


さて、読んだ感想ですが、嫌われる勇気と同じくらいめちゃくちゃ良書でしたね。
特に、愛に関する部分がとてもおもしろいというか、考えさせられました。

自立とは、自己中心性からの脱却である、とか、愛するということは、「わたし」が消え去り、「わたしたち」が主語になる、あたりが、うーむ、と。
なんでもない日々が試練である、というのも良かった。

最近友人から結婚について相談されるというか、酒の席での話のテーマになることが多かったんですけど、この本読んだ方が良いですよ。笑

なんていうのかな。
結婚って目的じゃないっすよね、と。
むしろ、一人でいるより困難は増えるよ、と。
一人で活きていたら悩まなくて良い課題が増えるぞ、と。
実際に結婚したって3分の1離婚するし、これから先はそもそも結婚しない人が3分の1くらいいるだろうしね、と。

じゃぁアドラーは結婚を否定するかというと、全然そんなことはなく、なぜ結婚するかというと、幸せになるため、なんですよね。
幸せになるためには不断の努力が必要ですよ、と。
それはほんとうの意味での自立である、とな。

これを読むと、愛するという難しさがわかります。
そして、それは人生の大きな課題であるよ、ということもわかりますね。

とまぁ、あくまでアドラーさんはそう唱えているよということで。

なんか文中でエーリッヒ・フロムが時々出てくるのですが、そういえば昔、エーリッヒ・フロムの「愛するということ」って読んだな〜〜とかちょっと思い出しましたね。。
内容まったく覚えていないですけど。笑

個人的には、嫌われる勇気の方がインパクトは大きく、絶対読むべきとおすすめします。
んで、嫌われる勇気が気に入ったら幸せになる勇気も読みたくなることでしょう。


最後に、読みながら線を引いた部分を羅列しよう。

第一部 悪いあの人、かわいそうな私
・たとえば、まったく勉強しようとしない生徒がいる。ここで「なぜ勉強しないんだ」と問いただすのは、一切の尊敬を書いた態度です。そうではなく、まずは「もしも自分が彼と同じ心を持ち、同じ人生を持っていたら?」と考える。つまり、自分が彼と同じ年齢で、彼と同じ家庭に暮らし、彼と同じ仲間に囲まれ、彼と同じ興味や関心を持っていたらと考える。<略>これこそが「共感」なのです。
・「いま」を肯定するために、不幸だった「過去」をも肯定する。
・人間は誰もが「わたし」という物語の編集者であり、その過去は「いまのわたし」の正当性を証明すべく、自由自在に書き換えられていくのです。
・悪いあの人、かわいそうな私。けっきょくこのふたつしか語っていない
・「これからどうするか」

第二部 なぜ「賞罰」を否定するのか
・問題行動の目的は5つの段階。「称賛の要求」、「注目喚起」、「権力争い」、「復讐」、「無能の証明」
・「叱る」という手段が教育上なんら有効でないことの、動かぬ証なのです。
・叱責を受けたとき、暴力的行為への恐怖とは別に、「この人は未熟な大人なのだ」という洞察が、無意識のうちに働きます。
・われわれは「他社の指示」を仰いで生きていたほうが、楽なのです。
・あなたは生徒たちに、自立されることが恐いのです。
・子どもを支配すること。すべては自らの保身のためです。
・そうではなく、「それは自分で決めていいんだよ」と教えること。

第三部 競争原理から協力原理へ
・これは彼が「悪」だったから問題行動に走ったのではなく、学級全体に蔓延する競争原理に問題があったのです
・共同体感覚は「身につける」ものではなく、己の内から「掘り起こす」ものであり、だからこそ「感覚」として共有できるのです。
・「わたし」の価値を、自らが決定すること。これを「自立」と呼びます。

第四部 与えよ、さらば与えられん
・われわれにとっては、なんでもない日々が試練であり、「いま、ここ」の日常に、大きな決断を求められているのです


第五部 愛する人生を選べ
・アドラーが一貫して説き続けたのは能動的な愛の技術、すなわち「他者を愛する技術」だったのです。
・愛とは「ふたりで成し遂げる課題」である。
・われわれはみな、「わたしは誰かの役に立っている」と思えたときにだけ、自らの価値を実感することができる
・「私は誰かの役に立っている」という主観的な感覚があれば、すなわち貢献感があれば、それでいい。
・不可分なる「わたしたちの幸せ」を築き上げること
・「わたし」や「あなた」よりも上位のものとして、「わたしたち」を掲げる
・愛は、利己と利他の両方を兼ね備えるのではなく、どちらも退けるのです。「人生の主語」が変わるからです。
・「わたし」だった人生の主語は、「わたしたち」に変わります。
・子ども時代のわれわれは、己の「弱さ」によって、大人たちを支配している
・自立とは、「自己中心性からの脱却」なのです。
・ここはよく誤解されるのですが、泣き、怒り、叫んで反抗する子どもは、感情をコントロールできないのではありません。むしろ十分すぎるほど感情をコントロールした結果、それらの行動を取っているのです。
・自立とは、人生への態度、ライフスタイルの問題です。
・他者を愛することによって、ようやく大人になるのですから。


嫌われる勇気を読んだときの感想はこちら

最後に。
嫌われる勇気、幸せになる勇気で一貫している、課題の分離のおさらいを。

大事なポイントは、承認欲求と貢献感は違う、ということ。

人から承認されるために生きていくことは他人の人生を生きることになってしまう。
そうではなく、自分が人の役に立っていると自分自身で思えることが大事。
相手に承認されるかとか、相手に好かれたいとか、そういう相手の行動を自分の行動軸に置いてはいけない。
あくまで自分の行動を自分で決めるところまで。

それで相手がどう思うかは、相手の課題なのである。







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