もう古い話になりつつあるけれど、島田紳助さんが芸能界を引退された。
だから、というわけではないけれど、島田紳助さんとダウンタウンの松ちゃんの事を書こう。
前から書きたかったので。
僕はお笑いが大好きで、会社勤めの際は毎朝M1やすべらない話のビデオを見てテンションを上げてから出社し、今は昼休みに必ずホンマでっか!?TVを見て大笑いすることが健康の秘訣です。
そんなわけで、松ちゃんの本を何冊か読んだのですが、その中で島田紳助さんとの共著である「哲学」という本を読んだ感想を書いてみようと思います。
元々お笑いが好きだった少年松本人志は島田紳助に憧れて、というか、島田紳助と勝負をするためにお笑いの世界に飛び込み、苦節を経て大成し、ダウンタウンの笑いを見た島田紳助がコンビ解散を決意するわけですが、そのあたりの経緯についてが序盤に書かれています。
松ちゃん好きならこのあたりの話もかなり面白いです。
で、松ちゃんと紳助さん二人がお笑いの道を突き詰めていく際の考察について話が展開していくのですが、僕はこの話を読んで、紳助さんからマーケティングを、松ちゃんからブランディングを感じました。
僕が勝手に感じただけなのですが、紳助さんはとにかくあこがれの島田洋七さんの笑いの作り方を徹底的に研究した。
ネタの設定から、オチまでの流れなどを徹底的に研究し、自分が勝てる点、自分にはできない点を考え、さらには視聴者の笑いに対するニーズの変化を予測して漫才を練りあげていく。
このあたりのアプローチがとてもマーケティングっぽい。
市場分析、競合分析、自社分析といった基本的なフレームワークに則っている。
本人がそういった知識を基にしたわけではないはずで、「勝つため」に考えつくした結果こうなったのだと思う。
マーケティングという分野も元々は、どうやって商売を成功させるかの知恵を集めたものだと思うので、真剣に考えると、かなりの部分、本に載っているようなことを独力で編み出すことができる。
で、松ちゃんはどうか、と。
松ちゃんは小さい頃から漫才を見ながら育った。
小学生の頃から梅田花月(だったっけ?)に出ている芸人さんのネタを見て、このネタはここがいまいちだからもっとこうすればよくなる、とかを考え、さらに学校の修学旅行などでコンビを組んで立ち稽古までしてみんなを笑わせていたらしい。
その後も、「自分が面白いと思うもの」を徹底的に作っていくというアプローチにブランディングの匂いがする。
周りにウケることよりも、(当然それも考えているはずだけど)自分が面白いと思うものをどう表現するかに重きをおいていて、ウケるネタを作るというアプローチではない。
だから、本人曰く、「笑いとして視聴者の10年くらい先を行っている」と感じることがよくあったらしい。
あまりにも画期的な場合、世の中に受け入れられるには時間がかかるのだろう。
後から時代が追いついてきて、爆発的な人気を得たという感じなんじゃないだろうか。
島田紳助さんはお笑い以外の商売をしても多分成功する気がする。
マーケターだから。
松ちゃんはどうだろう。お笑い以外で商売は成功しないかもなぁ。
でも本人がお笑い以外に興味ないと言っているので、成功するも失敗するもないな。やらないんだから。
最近はさんまさんが面白すぎて大好きなんですけど、松ちゃんよりな匂いがする。
お笑いのこと以外興味なさそう。
というわけで、「哲学」という本を読んで思ったことをつらつらっと書いてみました。
余談ですが、今この記事を書くために、島田洋七さんのことをwikipediaで調べていたら、あまりの面白さに読みふけってしまった。
特にこの部分が最高。
ーーー Wikipediaの「島田洋七」を引用 ーーー
親友のビートたけしをはじめ島田紳助や明石家さんまその他多くが、「あいつの話は9割以上がウソ」というぐらい、通常TVなどで喋っている事はほとんど作り話である。TVなどで話す内容と真実や本人の実像とは異なっており、自伝とされる「佐賀のがばいばあちゃん」も真実性は疑わしい。 洋七の話す内容はほとんどがまことしやかな作り話で矛盾がどんどん生じずるが、騙し通す事が目的ではないので、まったくお構いなしに作り話を重ねていく。出演者が真実を答えると思われているインタビュー番組などでも、真顔で尤もらしい作り話を語る。事実を知る者には洋七が語るそのウソは腹を抱えるほど可笑しいものであり、真実を知らないほとんどの人は洋七の話を真に受け、次第に様々な矛盾に混乱するはめになる。 インタビュー番組が真面目なものであればあるほど、その可笑しさは倍増する。 これは「お笑い」芸の本質とは嘘を楽しむことであり、マスコミを通して伝える自分の言葉や表現はすべて「芸」であること。 芸人は虚像が実像であるかのように見せることが芸人のあるべき姿であり、正体を世間に晒すのは恥であるとする伝統的な芸能哲学によるものであること。 また「マスコミが流す情報とは疑わしいものである」という洋七のインテリジェンスの発露によるものでもある。 従ってそこには、「洋七の陽気な嘘に騙され、後でそれに気付くことを楽しむ」ことが「粋」であり、話を真に受けて「騙された」「嘘つき」と非難するのは「野暮な朴念仁の田舎者」であるという江戸前の概念が存在するのである。
ーーー 引用ここまで ---
いやぁ、粋だねぇ。
興味のある方は、こちらからどうぞ。
島田洋七
あ、、松ちゃんと紳助さんのことを書こうと思ったのに、締めが島田洋七さんになってしまった!!
こりゃガバイわ。
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