僕は大学を卒業して、NTTコミュニケーションズという会社に入社しました。
ぉぉっゃさんという先輩の下で、音楽配信関連のサービスの開発や運用をしていたのです。
僕が入社して間もないころ、担当していた某レコード会社のシステムがボロボロで、打ち合わせのたびに怒られていました。
僕は入社したてで、怒られても自分じゃ何もできないし、という感じでした。
1年目の夏くらいに課長が、ぉぉっゃさんに会わせたい人がいるということで、僕も同席したのですが、そのときに知り合った人が、某ソフトウェア開発会社の社長だった小杉さんでした。
(実名出していいのかな。まぁいいか。実話だし。)
1時間か2時間くらいの打ち合わせというか、今僕らが担当しているシステムの相談をしたのですが、その打ち合わせの後に僕とぉぉっゃさんの感想は、小杉さんはマジですごいということでした。
それから、小杉さんも一緒にプロジェクトに参加してもらい、ぼろぼろだった某レコード会社のシステムの立て直しをしていったのです。
僕は当時、あまりにも技術や経験がなかったので、ほとんど蚊帳の外だったのですが、小杉さんからの学びを水を得た魚のように吸収してどんどん進んでいくぉぉっゃさんの背中をずっと見ていました。
二人の姿を本当に憧れの眼差しで見ていたのです。
小杉さんって本当に不思議な人というか、めっっっっっっっっちゃくちゃ賢いのに、めっっっっっっっっちゃくちゃ人懐こいというか人との距離を埋めるのがうまくて、それまで凍りついてた会議に小杉さんが参加するようになったその日から、なんか会議が明るくなる、みたいなことがたくさんあったのです。
僕はそれを隣で見ながら、というか、打ち合わせの前にいかに和ませるか頭を悩ませる小杉さんと同行しながら、仕事の仕方を学ばせてもらったのでした。
その後、僕も1年目の冬くらいから、ひょんなことから某プロジェクトのマネージャーというか、お飾りマネージャーをやることになり、2年目、3年目と少しずつ大きなプロジェクトのマネジメントをやるようになったのです。
今考えると、なんというか、ガキの使いというかですね。
見様見真似でWBS引いたりとか、PMBOKを学んで実践したりとかしてました。
とにかく、最初に強烈に憧れたプロジェクトマネージャーという仕事をやりたくて、アキレス腱が切れるくらいの背伸びをしていた日々でした。
おかげさまで、超絶多忙な日々になりまして、笑っているつもりなのに顔が笑っていないみたいになり、プロジェクトメンバーから、八木さん顔が怖いっす、、みたいに言われる始末。
まぁ仕方ないっすけどね。限界を遥かに超える責任と仕事量でしたから。。
僕は会社を辞めた後に、色んな人に会社時代とだるまやとでどう違うかとか聞かれたんですよ。
仕事としてはどちらも楽しい。
だるまやじゃなきゃ味わえないこともたくさんありました。
唯一、会社時代に負けてしまうことは、お客様以外で知り合う人がほとんどいないということだったのです。
会社に勤めているとそれほど意識しなくても初めての人に出会えるし、仕事内容によってはたくさんの人を巻き込んだプロジェクトとかもできたわけです。
なので僕は、例えばWeb系の営業に来る人だろうと、知り合いの知り合いとかだろうと、興味を持ったらなるべく会うようにしてきました。
そう意識しないと、個人事業主だとほんと出会いがなかったのです。
そんな中、ひょんなことから平塚の町おこしに関わるようになって、今は駅前商店街全体の活性化にチャレンジしています。
会社時代に比べたら最初の予算は大きくはないし、関わっている人も多くはなかったので、軽いノリでやっていたのですが、なんかふと気づいたら関わってくれる人も増え、予算的にも大きいものになっていてですね。
ふとさっきシャワーを浴びながら考えてみたら、これって会社時代にやっていたプロジェクトと同じくらいの規模だよなぁ、と。
使うお金の規模でいったら大きくないんですけど、僕を含め、ボランティアで関わっている人の人件費とか、市役所の人の人件費とか考えたら、これって軽く数千万円規模のプロジェクトっすよね〜、と。
しかも、ボランティアなので、興味がありそうな人とか、自分で見つけて巻き込んでいけるので、どこまでも大きくなれるんですよ。
そうか、まちおこしってこんな大きく楽しいことにできるのか!みたいな。
いや、ほんと気づいていなかったですけど、なかなかな大事業をやっているわけですね。
会社辞めてだるまやの仕事をするようになって、もうあの頃みたいに沢山の人と同じ目標に向かって進んでいくとかできないな〜と思っていたんですけど、今気づいたら、またあの頃と同じようなプロジェクトができていて、あぁめっちゃ恵まれてるな〜と思ったわけです。
長くなってしまった。笑
さて、寝よっと。
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