2008/06/01

日本酒の歴史

昨日まででだるまや生活が1ヶ月経ちました。
本当に何も知らない状態だったので、すべてのことが新鮮で長い1ヶ月間でした。

お客様の中でも僕を知っている人は少ないので、僕がお客様に電話すると「あれ?」と思われる方が多いです。
徐々にみなさんに覚えてもらわなきゃ。


さて、今日は日本酒の話をしようかと思います。
個人的な見解や独学の結果なので、間違っている内容があったらゴメンナサイ。

僕は学生のころから日本酒が好きで、今でも飲みに行くとだいたい日本酒を飲みます。
最近では以前は飲めなかった地方の小さい蔵の日本酒が飲めるようになり、日本酒を飲む楽しみが増えました。
飲んだことが無い美味しいお酒に出会うと本当に感動します。
僕が学生だった頃は周りで日本酒を飲む人は少なく、オジサンの飲むものというイメージが強かったのですが、確かに美味しい日本酒は少なく、居酒屋で飲める日本酒、特に飲み放題などで出てくる日本酒はひどいものが多かったです。

ちょっとだけ日本酒の歴史を紐解くと、戦後の米不足の影響で日本酒を造る米が足りなかったため、政府は日本酒にアルコールを添加することを認めました。
そのため、酒蔵ではできあがった日本酒にアルコールを添加し、それだけだと辛くて飲めないので、水あめなどの糖類を加え、水で薄めてアルコールを14%に抑えて造るという手法を考えました。
これが三増酒というもので、今日本で出回っている日本酒の多くが実は三増酒です。
普通に米だけで作るより3倍の量ができるので三増酒という名前がついたわけです。

その後、米不足は解消されたわけですが、いまだに多くの酒蔵は三増酒を造り続けています。
一度安く大量に作れる手法を覚えてしまった酒蔵が効率の悪い昔ながらの製法に戻す気が起きなかったのでしょう。

日本酒が好きではない人は「べたべたと甘ったるくて、美味しくない」、「飲むと必ず二日酔いする」と思っている人が多いと思いますが、こういった印象は三増酒によって作られてしまったのです。
その証拠に純米酒だけを飲んでいればほとんど二日酔いしません。
大学生になって初めてお酒を飲む人が少なくないと思いますが、最初にこういった悪い日本酒に出会ってしまうと、その後もずっと悪いイメージを持ったままのことがよくあります。

そもそも米だけで作った日本酒のことをわざわざ「純米酒」と呼ぶのはおかしいと思いませんか?
当たり前だろ!?と言いたい。

こういった話は日本酒好きとしては本当に悲しいことで、僕は一緒に飲みに行く人が日本酒嫌いだと本当のおいしいお酒を試飲してもらって、日本酒好きになってもらうことが趣味です。(笑)

さて、暗い話が続きましたが、最近では本当に美味しいお酒が増えてきました。
そういったお酒には、すべて、というわけではないですが、作り手が若いという傾向があります。
数年前の焼酎ブームでもそうですが、30代の若い杜氏さんが自分が本当に美味しいと思える日本酒作りに取り組んだ結果、すばらしい日本酒が出回るようになってきたのです。

銘柄をあげるときりがないのですが、いくつか大好きなお酒を紹介しますね。
個人的な見解ですが、東北、北海道地方はストレートな米の旨みのお酒が多く、四国や中国地方のお酒はフルーティなものが多いです。
僕の趣味はフルーティな純米吟醸酒なので、西の酒蔵が多くなっています。
#最近は特に高知県と三重県に注目してます。

・南(高知県 南酒造)
・遊穂(石川県 御姐(みおや)酒造)
・而今(三重県 木屋正酒造)
正雪(静岡県 神沢川酒造)
・御湖鶴(長野県 菱友酒造)
・大七(福島県 大七酒造)
・雨後の月(広島県 相原酒造)
・醸し人九平次(愛知県 萬乗醸造)

ほかにも紹介したい酒が山ほどありますが、今日はこのくらいにしておきます。
今後も新しい美酒と出会ったら報告していきますね。

日本酒について、もっと詳しいことが知りたい方はWikipediaの日本酒の歴史を参照してください。


僕はどうしても、日本酒の立ち直りの歴史ときものの今後を重ね合わせてしまいます。
きものも一時期の日本酒と同じように、愛好家がどんどん減っている状況です。
洋服では海外のブランドがどんどん日本に入ってきていて、少し洋服に興味のある人なら、数多くのブランドを知っているでしょう。
それほど好きな人でなくても、ルイ・ヴィトンやシャネルを知らない人は少ないですよね。

では、そういった若い人できものの名産、例えば結城紬や本場大島が分かる人は少ないのではないでしょうか。
歴史で言えば洋服の歴史はせいぜい100年程度で、呉服の歴史は1000年以上続いているのに、今では好んで着る人が少なくなってしまいました。
こういった状況を打破することは簡単ではないですが、日本酒と同じように若い世代が文化を守りつつ新しいことにチャレンジしていくことで何かが変わるかもしれません。

根拠の無い予想ですが、数年以内にきものがまた注目される日が来ると思っているので、そのときまでにだるまやの価値をより多くのお客様に伝えられるようにしたいです。

きものを生業と決めた以上、後世に何か残せたらいいなぁ。

と、親父がこの文章を読んだらでっちのくせにえらそうなことを言うなと叱られそうです。
でも今だから思える新鮮な想いを忘れずに今後も頑張っていきたいと思います。

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