2011/08/25

伊坂幸太郎を読みあさったお盆

僕はあんまり小説は読まない方なのですが、以前友達から誕生日プレゼントとして伊坂幸太郎の「チルドレン」という小説の文庫をもらい、それがきっかけで少しは読むようになりました。
とは言っても、ほとんどビジネス書とか自己啓発系の本ばかりの毎日なのですが、この夏はふとまた小説を読もうと思って、同じく伊坂幸太郎の「アヒルと鴨のコインロッカー」を読みはじめました。

「チルドレン」を読み終わってすぐに買ったのですが、結局積読状態になっていたのをまた引っ張りだしたのです。

お盆休みで時間があったのと、「アヒルと鴨」がハラハラドキドキで次を読まずにいられないという感だったのとで、すぐに読み終わりました。
とはいえ、まだお盆休みの途中。
もう一冊読もうと思って本屋へ走り、同じく伊坂幸太郎の「終末のフール」を買って、またまたすぐに読了。
従姉妹が持っていた「ゴールデンスランバー」を、映画では一度観たものの、借りて読みはじめ、今日読み終わりました。

いやぁ、こんなに小説に読みふけったのは初めてですね。

伊坂幸太郎の小説って、どれも同じような特徴があるなぁと感じました。
それは、世の中で起こっていることはすべて、自分というレンズ越しにみていて、自分が見ていることが必ずしも真実の全体像ではなく、一方向からのものに過ぎないということ。

「アヒルと鴨」であれば、主人公が引っ越した先のアパートの隣人から突然「本屋を襲う」ことを手伝わされるわけで、自分の身に起きたことが、実は物語の最後の一小節だったということに最後に気づかされるわけです。

「ゴールデンスランバー」も、首相暗殺というニュースをテレビ越しに見ている人、犯人としてスケープゴートにされた人、その古くからの友人など、それぞれが見た現実はあるのですが、真実は実は誰の目にも分からない。けれども当事者も傍観者も自分の見た情報、得た経験から物事を判断し、その人生を送っていく。

「終末のフール」であれば、「8年後に隕石が衝突して人類が滅びる」という情報を得た人々がどう生きていくかを描いているわけですが、皆それぞれ自分の人生を精一杯生きていきつつ、ちょっと引いてみると、一人一人が意外なところでつながりを持っていて、俯瞰してみると全体像が表れるんだけれども、一人一人は自分の”側”から見た真実に向かって生きていくこところが描かれている。

自分の見ていることがすべて正しいというか、それが真実だと思いがちですが、みなそれぞれ得ている情報、生まれ育った環境、持って生まれた性格などが違い、受け取り方が異なりそれぞれの人生を歩んでいくんだなぁと思いましたね。

僕自身もっと受容性というか、寛容さを持って生きていかなきゃなぁと思いました。


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