2018/02/04

僕らの4日間戦争 その1

1月31日から今日までの話を記しておきたい。
誰かを責めるとか、弁解をしたいとかそういうことではなく、ある種の自分への戒めと、今回のことから学んだことを忘れることなく、今後だるまやの仕事をしていく糧にするために。

・・・

始まりは昨年の12月17日だった。
一本の電話が鳴った。受けたのはうちの親父だ。
茨城の方からのお電話で、内容としては振袖の反物を、柄を活かして地色を変えたい、というものだった。
仕事内容としてはそれほど珍しいことではないのだが、期限が厳しい。
1月20日までに仕上げてほしいということで、他の呉服屋や染物屋さんに20件ほど断られ、だるまやのホームページを見つけて電話してくれたらしい。

うちの親父が事情を聞き、染め物を頼んでいる京都に間に合うか確認する。
とりあえず送ってくれないと分からないけど、なんとかなると思う、みたいな返事をもらい、とりあえずお客さんに品物を送ってもらうよう電話した。
送られてきた反物は、真っ赤な地色に巻きぼかしの柄の振袖の地色を紺に変えたいという仕事だった。
1月末までに仕上げてくれればOKという返事をもらった。
それからすぐに京都に送り、作業を開始してもらった。

12月21日、うちの親父が手術のために入院した。
手術は無事終わり、ほぼ毎日、僕は病院に顔を出した。
年が変わり1月6日、、うーん、こんな形で記すのもあれなのだが、うちの婆ちゃんが亡くなった。
うちの親父は入院中だったが、お通夜告別式の段取りを整え、無事終えた。
だるまやの定休日である10日に告別式を行うことにし、お通夜が9日、告別式は10日となった。
1月12日、今度はうちの親父が退院する日だった。
退院前から説明を聞き、当日は朝から迎えに行って、みんなで退院を祝った。

実はこの間、確か1月9日か10日だったと思うが、染め屋から、この振袖が戻ってきていた。
内容としては、地色の赤が強いため、希望の紺にはできない、という内容だった。
なるべく希望の色に近づくような色をかけるとすると、ほぼ黒に近い色になってしまうという試験結果付きだった。
僕がお通夜告別式真っ只中で仕事に回せる時間が少なかったこともあり、4日ほど返事を遅らせてしまった。
お客さんに事情を伝えると、仕方がないのでOKということだった。
すぐに京都に伝えた。

1月20日前後、お客さんから状況確認の電話が時々鳴った。
僕も当初の期限の前後から、事あるごとに京都に電話していたのだが、月末までには仕上げるという返事だった。

1月30日、京都に電話し送ってくれたか?という確認をしたところ、明日には送れるという返事だった。

1月31日、朝から洗い物をしていると、お客さんから状況確認の電話があった。
僕もちょうど京都に電話しようと思っていたタイミングだったので、確認して電話すると伝えた。

京都に電話する、、、


さて、ここからが激動の4日間の始まりである。

その2はこちら


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